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130年の歩み

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7.大長崎建設の構想 (昭和11年3月)

 世紀の事業として世界の耳目を集めていた関門海底鉄道トンネルが開通し、東京直通の「特急富士」が長崎に始めて乗り入れたのは昭和17年11月15日のことであった。

 これより6年前、昭和11年9月に同トンネルは着工されたが、長崎商工会議所は、同トンネルの開通は、長崎市をわが国の南進基地として飛躍的に発展させる絶好のチャンスと判断し、市当局にも働きかけて、大長崎建設のための具体的方策を練り、その実現を促進する機関として大長崎振興会の設立準備を進めていた。

 大長崎振興会の創立総会は、同11年3月30日、市会議場で、市長・笹井幸一郎、商工会議所会頭・脇山啓次郎、同副会頭・山田鷹治の各氏をはじめ官民有力者100余人が出席して開かれるに至った。総会は、会則案を議定した後、役員選任を行ない、会長に笹井市長、副会長に脇山会頭、大石市会議長を推し、笹井会長から常務理事2人、理事30人、顧問21人を推薦、同年度予算3,500円を可決して閉会した。

 次いで同年4月11日、第1回理事会を開き、次の各項について具体的計画を協議し、さっそく、その実行に移ることになった。

 ○ 長崎港湾改良修築並びに海陸連絡改善に関する件

 ○ 長崎駅並びに長崎線鉄道の改善に関する件

 ○ 長崎空港開設に関する件

 ○ 逓信施設整備改善に関する件

 ○ 産業都市の建設に関する件

 ○ 長崎観光施設の整備に関する件

 こうして、振興会は、長崎港修築、長崎駅改築、観光ホテル建設など当面緊急とする事項を取りあげて、その実現促進に乗りだしたが、たまたま支那事変が勃発したため、新規事業はすべて中止せざるを得なくなり、ただ事変の影響を受けた日支連絡船の長崎・上海折返運行が実現したのみであった。

 振興会は、その後も、長崎振興に関する幾多の問題を取りあげ、種々対策を講じて大長崎建設推進の基本的役割を演じたが、支那事変から太平洋戦争へと戦局の激化に伴って、その構想は実現を見ないまま終戦を迎えることになったのである。


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