トップページ > 130年の歩み > (2) > 2.自立経済への動き (昭和20年代)

130年の歩み

130年の歩み

2.自立経済への動き (昭和20年代)

 終戦後の混乱とインフレの高進、そうしてドッジ・デフレから朝鮮動乱ブームへと、昭和20年代前半の日本経済は、戦争の傷跡が完全に回復しないまま激しい変動をくりかえしながら推移した。

 こうしたわが国経済の変転のなかで、長崎市の産業界は、戦後いち早く立ち直った漁業とこれに関連する中小造船業や水産食品工業の好調に支えられて漸次、活況をとり戻したものの、基幹産業である大手造船業や炭鉱が停滞から脱することができなかったため、地域経済前途の展望も開かれず、商工業者の経営は依然としてきわめて不安な状態にあった。

 昭和25年6月に勃発した朝鮮動乱は、安定恐慌下のわが国経済に特需ブームをもたらし、経済界は予期しない好況に沸いたが、翌26年7月には、早くもその反動を受けて再び深刻な不況に陥り商社や問屋の倒産が続発、中小商工業の経営は、ますます苦しくなっていった。

 こうした情勢のなかで、同年9月、対日講和条約が調印され、翌27年4月に発効して、わが国は6年余にわたる占領行政からようやく開放され独立を回復することになった。政府は政治的独立とともに経済の自立を期することになり、基幹産業の生産拡充と輸出産業の国際競争力強化をはかるため積極的な政策を推進したが、そのため経済界にも活気がよみがえり、30年代の高度成長へ向って胎動を始めるに至った。

 長崎の経済界でも、講和条約の成立を機として予想される新しい事態に対応するため、地域経済の本格的な再建、繁栄をはかろうとする気運が高まりつつあったが、長崎商工会議所は、各業界の意見を集約して積極的にその推進をはかることになり、県・市と一体となった地域経済の長期構想、具体的方策に努める一方、経済界が当面する諸課題について行政当局をはじめ関係幾関に対し熱烈な意見・要望活動を展開した。昭和26年度事業報告書によってその実績の一端をみると、(1)電話通信施設の拡充 (2)国鉄輸送力の増強 (3)長崎港湾施設の整備 (4)外航定期航路の開設 (5)政府機関の誘致 (6)独占禁止法の改正 (7)税制の改正 (8)金融の拡大 (9)通商貿易に関する条約協定の締結促進 (10)中国による漁船不法拿捕の防止など、多岐にわたって諸般の問題をとりあげており、その積極的な活動状況をうかがうことができる。


前のページへ ページの先頭へ 次のページへ

長崎商工会議所ホームページへ

このコンテンツの見方
『長崎商工会議所 創立130年の歩み』の一部のデータをご覧いただくには、アドビ社が無償配布しているアドビリーダーまたはアドビフラッシュプレイヤーが必要です。アドビリーダーまたはアドビフラッシュプレイヤーは下のアイコンをクリックし、ダウンロードしてご利用ください。

※Adobe、Adobe ロゴ、Adobe Reader、Adobe Flash Player、 は、Adobe Systems Incorporated(アドビ システムズ社)の米国ならびに他の国における商標または登録商標です。
Adobe ReaderまたはAdobe Flash Playerをダウンロード、インストールすることによって生じるトラブルについては長崎商工会議所及びアドビシステムズ社は責任を負いませんので、あらかじめご承知ください。

get adobe readerget flash player