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130年の歩み

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14.国鉄浦上新線の開通 (昭和47年10月)

 昭和47年10月2日、国鉄長崎本線の浦上〜喜々津を新しく結ぶ浦上新線が開通した。

 この浦上新線の実現は、長崎経済界の多年にわたる念願であった。明治31年に開通した在来の長崎本線の長崎〜長与〜諫早の区間は、大きく迂回しているうえに、長与〜大草間に急勾配のトンネルがあるため、長時間を要するはかりでなく輸送力にも限界があったので喜々津から分岐し古賀、現川を経由して浦上に至る短絡路線建設の構想が、すでに大正時代から持ちあがっていた。

 大正10年2月1日、長崎商業会議所は「長崎線新線建設速成に関する建議」を内閣総理大臣、鉄道大臣宛提出し、その後も折衝を重ねて、昭和2年、この新線は建設予定線に指定された。会議所は、その早期着工を訴えたが、着工の目途はまったく立たないまま、戦後に至るまで放置された状態で推移した。

 戦後、昭和30年代になって、長崎の産業界は急激な発展、拡大をとげ、他地域との貨客の交流はますます活発になったが、これに伴って長崎本線のダイヤも過密化し、在来線だけでは対応できない状況になった。

 鮮魚輸送の迅速化、観光客の誘致推進の面からも、浦上新線の早期実現の必要性が痛感されるに至った。県、市、商工会議所は、政府、国会、関係方面に対し熱烈な陳情活動を再開した。

長崎駅で行なわれた国鉄浦上新線開通発車式
長崎駅で行なわれた国鉄浦上新線開通発車式

 その結果が実って、昭和37年5月調査線に指定を受けるに至り一歩前進をみることになった。県、関係市町、経済界は、その早期着工を求めるため、さっそく「諫早・長崎間国鉄浦上線建設促進協議会」を結成、より強力に建設促進運動を進めた。

 こうして、昭和41年10月31日、待望の起工式にこぎつけ、85億円の工費と6年の歳月を要して、47年10月2日、開通の運びとなったのである。

 この新線の開通によって、在来線より6.7�卉蚕未気譟�勾配も緩和されたうえに、在来線と合わせて複線化されたことになったので長崎本線の輸送力は大幅に増強され、スピードアップされることになった。


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